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2013.02.24

阪和線に旧客が居た頃

Jtrain_no49みのるさんのブログで「はやたま」の話題が出て、懐かしく拝見致しました。折しも、Jtrain誌で「夜汽車の時代Ⅰ1980’s」と題した特集がNo.49号で組まれて、寝台付き夜行普通列車が紹介されています。

当方も、稚拙ながら写真を撮っていたことを思い出して紀行文風にまとめてみました。ご笑覧下さい。他に、早朝の大和川橋梁の写真(これも画質悪し・・・)が有るはずなのですが、まだ発見していません。

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1977年1月23日 天王寺駅に「はやたま」回送を追う

後輩I君と「はやたま」を見ようと天王寺に出かけた。なぜか当時「走行写真」に拘っていて、増感現像を試すのが主目的だった。詳細な条件の記録は無いが、パンドールの希釈現像でASA1600~3200を目指していたようだ。もちろん、粒子は粗くレンズの低性能と相まって、ろくな写真が撮れるはずも無かった。当日は、最寄り駅の始発電車で出かけて、一日中天王寺駅に居て、運用調査と称して、阪和線の列車を眺めていた。肝心の記録は、I君が持っているはずだが、もう20年以上音信不通だ。そんなわけで、この写真の編成記録は手元には無い。

「はやたま」は、竜華のEF58と客車で組成されているのだが、天王寺には別々にやってくるのである。すなわち、客車は関西線経由でDD13が牽引してきて、EF58は阪和線経由でやってくる。なんと、高架線~地上線の連絡線をEF58が降りて、地上線の客車を転線するというのである。I君とこの一部始終を記録する、と云うのが当日のフィナーレであった。

77m00609_800s77m00616_800s77m00618_800s_2はたして、定刻になるとDD13のヘッドライトが近づいてきた。寝台車を2輌つないだはやたま編成だ。EF58が阪和ホームに入るので、急いで上がる。居る居る、EF58の28番だ、ヘッドライトこそ2灯シールドビームに改造されているが、大窓のきれいなカマだ。ほどなく、入替信号が「進行」を現示して、連絡線に出発した。先台車を大きく揺らして、下っていく。本当にEF58が連絡線を通るのだ。

今になって、鮮明な写真を心がけるべきだったかとも思うがjtrainNo.49で、「夜汽車の時代」で普通寝台列車の特集が組まれて、鮮明な写真を見られるので、あれで良かったとも思う。無謀な試みも、高校時代の思い出だ。

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コメント

はやたまは杉本町経由じゃなくて、あの坂を推進で登って入線していたんですか。これはモデルでもやってみたらおもしろそうですね。天王寺の勾配はどのくらいでしたっけ?

投稿: ヤマ | 2013.02.24 11:01

こんばんは。
機関車と客車と別々に入線して、駅で編成に仕立てるとは驚きました。貴重な記録を拝見できて嬉しいです。

投稿: みのる | 2013.02.25 23:37

ヤマさん、みのるさん

実際に見るまで、あの急勾配を58が客車を推進運転で入替を行うのか、信じられませんでした。そもそも、地上線から高架線に構内に日常的に使える連絡線が存在することを知りませんでした。元々阪和電鉄と関西鉄道な上、高架線と地上線なので、まさか? と思っていました。 今は、「はるか」が別の連絡線で易々と環状線から阪和線に入っていくようになり隔世の感があります。

模型でも、このような勾配線を推進運転で入れ替えするのはスリルが有って楽しそうですね。

投稿: 管理人 | 2013.02.26 02:03

初めて書かせて頂きます。写真もメモもすっと出てこないのですが、80年代前半の小雨の降るある日、天王寺発の阪和線のお座敷列車を見に行きました。環状線内回りで寺田町を過ぎると、右手にEF58+お座敷列車の編成が既に止まっていました。てっきり阪和線を回送して来ると思っていたので、これがその列車なのか? 実は東京の者なので、よく分かっていませんでした。
果たして発車の20分位前、連絡線の所から客車の後部が見え、あれよあれよといううちにEF58の推進運転で阪和線の一番南側のホームに据え付けられました。この連絡線は、阪和電気鉄道と鉄道省との間で貨車のやり取りのためにロコ1100(後に近江鉄道ヘ払い下げ)が入れ換えしてた場所で、約50年後も有効活用されていたことを知りました。

投稿: とやま | 2013.05.06 17:06

とやまさん、コメント有り難うございます。
お座敷編成もあの坂を登っていたのですね、知りませんでした。見たかったです。
杉本町の阪和貨物を使う例も有ったのかもしれませんが、杉本町で折り返せる訳でも無いでしょうし、案外大変なのかも知れませんね。ミステリー列車が通過した事は有ったようですが、未確認です。

これからもよろしくお願いします。

投稿: 管理人 | 2013.05.06 23:28

環状線外回りで・・・の誤記でした。失礼しました。
私にとって最初で最後の阪和線お座敷列車でしたから、こういう回送なんだと納得だったのですが、実は余り知られてないことだったのですか。当時も関心事はEF58だったのですかね。
余談ですが、阪和電鉄が省からオハ31系(改正後の形式)を借りて、モヨ100が和歌山市まで牽引して引き渡した黒潮号が有名です。その客車編成の両端にはマスコンとブレーキ弁を設けてモヨ100を総括運転した(これが本当のプッシュプル)そうです。鳳-天王子間の回送で必要だったのです。マスコン部のアップ写真は雑誌などに発表されています。

投稿: とやま | 2013.05.07 22:33

とやまさん
あらためて、鉄道ファンNo175などを読み直しました。マスコンの写真は見つけられませんでしたが、撮影当時この号は持っていなかったので、新しい発見でした。阪和電鉄時代は、天王寺では機回し出来ない上に鳳から回送するしかないので、プッシュプルだったのですね。

知っている人は居たでしょうけれど、わざわざ写真を撮る人は少なかったようで、見たことが有りません。普通は、もっと写真写りの良いシーンを撮りますものね(汗;)やはり、写真が無いと、後世に残りにくいのでしょうね。

投稿: 管理人 | 2013.05.09 02:46

オハ31系のマスコンの写真は、15年くらい前のRail(プレスアイゼンバーン)に載っていました。写真の解説がないとわかり難いアングルということもありました。

投稿: とやま | 2013.05.20 00:01

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